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新世界より◎ 山下和仁(ギターソロ)
新世界より◎ 山下和仁(ギターソロ)
山下和仁(ギター)
1987年6月16-17日、つくばノバホールで録音
レーベル:brinrinri
品番:KYBR-1801
定価:2700円(税抜価格)
発売:2018年1月17日
収録曲目
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ドヴォルザーク作曲 山下和仁編曲
交響曲第9番 ホ短調 作品95『新世界より』
Dvořák: Symphony No. 9 in E minor, “From the New World”, Op. 95
arranged for guitar solo by Kazuhito Yamashita
第1楽章 アダージョ―アレグロ・モルト
1. Adagio – Allegro molto
第2楽章 ラルゴ
2. Largo
第3楽章 スケルツォ(モルトヴィヴァーチェ)
3. Scherzo: Molto vivace
第4楽章 アレグロ・コン・フォーコ
4. Allegro con fuoco
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生きながらにして伝説になったと言われる山下和仁。この「新世界より」全曲ギターソロ版は、かつて、かのウィーンムジークフェライン大ホールを超満員にするなど世界各地で熱狂的に迎えられたもの。1987年に国内外で発売された超ヒット作が、この度リマスターされ再発売されたことは誠によろこばしい。現在までに83点のアルバムを発表した山下は、近年はバッハ公演で知られ、2017年にはサンクトペテルブルグ・フィルハルモニア大ホールで歴史的コンサートを行なった。80年代90年代に世界を駆けめぐった「展覧会の絵」「新世界より」「シェヘラザード」「火の鳥」は、彼の原点となったとも言われる。本CDは、1987年に録音され国内外で発売されたLPおよびCD「新世界より」の2017年リマスター盤です。ブックレットや曲目解説は添付されていません。画像はイメージです。
山下和仁ギターリサイタル終了ご報告
4月17日、日曜日にあいれふホールにて行われました「山下和仁ギターリサイタル」は皆様のお陰で無事に終了する事が出来ました。心より御礼を申し上げます。
「山下和仁さんの生演奏を福岡で聴きたい!」という個人的な、わがままにも近い思い付きに端を発した今回の企画。この日を迎えるまでにはいろいろな事がありました。
すたじおGは基本的に橋口武史が演奏するコンサートの主催を行ってきました。山下さんのようなビッグアーティストの企画は初めてで不慣れなすたじおGの為に山下さんはどんなに些細な事にも親身に相談に乗って下さいました。「普通は私は会場に行って弾くだけですから」とおっしゃる山下さんの手をこんなに煩わせた主催者はいないでしょうね(^^;;
すたじおGでこれまでなかなか経験しなかったこととして、今までとはケタ違いの部数を印刷して色んなコンサートにチラシの挟み込みさせてもらいました。福岡では九響の定期や昨年末の福岡女学院のメサイアなどアクロス福岡でのコンサート、ほかに主催者が知り合いのコンサートに。山下さんの地元、長崎でも日フィルのコンサートや山下さんの母校の長崎南高校の吹奏楽部の定期演奏会などに実家の母に挟み込みに行ってもらいました。妻がデザインした黒をベースにしたチラシは多くの人の目に届いたはずです。
アンケートにお答えくださった中に「新聞を見て」というのもいくつも有りました。
妻が幾つもの新聞社を回ってコンサートの情報を掲載して頂きました。特に西日本新聞は3月初旬に平原記者が長崎まで出向いて取材して下さり、写真入りで大きな記事を掲載して下さいました。各誌に載ってからは電話での注文が急増して対応に追われました。
山下さんのお陰で新しいご縁がたくさんできました。
あいれふホールの固定席がほぼ完売し、心苦しくも補助席でのご案内となってきていた4/14(木)の夜、すたじおGのレッスンボックスでレッスンをしていたら生徒さんの携帯と私のiPhoneからけたたましく緊急地震速報が鳴り響きました。生徒さんと2人で顔を見合わせたその直後
グラグラ、ガタガタ、ミシミシ…
ただ揺れが収まるのを待つことしか出来ませんでした。
落ち着いてからググッてみると、熊本で震度7とのこと。福岡西方沖地震のときと比べると震源から遠いぶんエネルギーは小さい気がしましたが、揺れている時間は長く不安な気持ちは大きかったです。熊本大学出身である生徒さんも「阿蘇があるけどこんなに揺れたことはない」と。熊本に知り合いがそれなりに居ますので心配しながらこれが「前震」だなんて思いもせず、とりあえずペットボトルの水を買ったりして1日を過ごしました。
熊本と言えば山下さんのご長女、紅弓さんが熊本大学に在学中で山下さんのコンサートを聴きに来られることになっていました。前日には大学内でコンサートが予定されていましたが、前日のリハーサル中に地震が発生し、新聞に記事が載ったり話題になっていましたが大事をとって延期の決断をされました。また、9/5にはあいれふホールでコンサートをして頂くことに決定したばかりでした。いずれにしろ紅弓さんは「元気で心配ない」と山下さんから伺っていました。
本当はプログラムを作成しないといけないのに、疲れが溜まって、普段より早めにベッドに入った15日の深夜に「本震」は起きました。二回も続けてこんなに大きな地震が来るなんて…
山下さんが福岡入りされる予定だった翌朝はJR長崎本線もストップ。幸いなことに長崎自動車道は通行止めにはなっていなかったのでクルマで山下さんのいらっしゃる長崎へお迎えにあがることになりました。
紅弓さんは二度目の本震でも怪我はないそうですが、お住いのマンションはかなりダメージが大きく、近くの高校の体育館に避難されているとのこと。山下さんが八方手を尽くしましたが福岡まで出て来る手段が無いということで「行ってみるしかないですね」ということで長崎からそのまま熊本へ向かいました。
本来なら昼過ぎに福岡に着いてホテルでゆっくり休まれる予定だった山下さん、後部座席で仮眠されていましたが、南関ICを過ぎ、田原坂辺りからは大渋滞で、いつも悠然としている山下さんも流石に目を覚まされて一言「仕方ないので何かお話でもしましょうか(笑)」。 電光掲示板に「植木 停滞 3km」という表示が出てたので一つ手前の南関で高速を降りて下道で行くべきか迷いましたが、南関もずらっと並んでいたし気も焦っていたので「行けるところまで行こう」と判断しました。植木ICから先は通行止めでみんなここで降りるので当然なのですが、想像を超える「停滞」具合でした。
「左に寄れ 」の指示に従って不本意ながら渋滞の列の一部を形成していると、 遠くは兵庫や香川、福山など全国から駆けつけた救急車や消防車が次々と追い越し車線を熊本市内へ向かってくれていました。何だか胸が熱くなりました。
その一方、渋滞している走行車線を横目に追い越し車線をスイスイと走っていく一般車と思しき不届き者がいても文句一つ言わず、穏やかな表情を崩さない山下さんは凄いな、と改めて思いました。
何とか植木ICを降りても熊本市内への3号線は遅々として進まず。夕方から雨が降るという予報だった事もあり出来れば暗くなる前に避難所に着いて紅弓さんと落ち合いたいところですが難しそうな気配。道路から見る限りではコンビニの食料品の棚は空っぽですが停電もしてなさそうだし、思ったほど地震の被害は目に付きませんが、市内に近づくに連れて非常事態なムードが。道路も通行止めで迂回。紅弓さんの携帯のバッテリー残量が心許ない、ということで必要最小限の連絡を取りながら、とっぷりと日が暮れたころにようやく避難所になっている高校へ到着。
山下さんが体育館へお迎えに、私はクルマで待機。しばらくしてBamのギターケースとコンパクトに纏めた荷物を手に、お元気そうな紅弓さんの姿を拝見した時はホッとしました。さすがギタリスト、「ギターだけを持って」体育館にいらっしゃったとか。感動の再会のはずなのですが意外とあっさりとした親子はマンションの被害状況を確認に。戻って来られてから一路福岡を目指しますが、帰り道がこれまた大渋滞。かなり雨も降ってきましたが、車内は紅弓さんの明るい話し声で重苦しいムードはありません。裏道を選択してしまってなかなか辿り着かない植木ICでしたが、高速に乗ってしまえばスイスイ。夜ごはんがまだだったので玉名SAに寄ってみましたが、レストランは閉店、コンビニも食べ物は空っぽ、こうなったら少しでも早く福岡に、ということで高速、都市高速と乗り継いで福岡市内のホテルに着いたときには日付も変わっていました。本番当日のリハーサル時間は予定より遅らせる事を確認して山下さん親子とお別れして長い1日が終わりました。
前日に10時間ドライブしていた間に妻が作成してくれたプログラムを本番当日の朝印刷しようとしましたが、両面印刷で紙詰まりが発生して部数が足りないまま、折り畳み椅子と沢山のCDを載せてあいれふホールに向けて自宅を出発。
一旦会場に荷物を降ろして、ホテルで山下さんをお出迎えして会場入り。山下さんの要望に対応すべくあいれふの係りの方にも駆けつけていただいて照明の調整にしっかりと時間をかけて妥協点を見つけ、リハーサルがスタート。いつまで経ってもバッハは弾かれません。袖で固唾を飲んで見つめる坂元敏浩氏と平戸健吉氏と3人で「さすが、もう当日は練習しないんだ!」と頷き合いました。
今回のコンサートでは当日を迎えるまでにもチケットの販売、宣伝のご協力などいろんな方に助けていただきました。ありがとうございました。
当日のスタッフとしてもこちらのわがままを笑って快諾してくださったみなさん、本当にありがとうございます。本来ならあいれふホールのステージで演奏する立場の松下隆二氏、池田慎司氏、他、福岡のギタリストのみなさん、それからすたじおGの生徒のみなさんがチラシの挟み込み、受付、CDの販売、会場の案内係として支えてくださいました。
その中で、舞台袖のドアの開閉、控室への連絡などの役目は、近寄りがたいほどの気合が入った山下さんと直接会うことになるので顔見知りの人がいいのではないか、と考えて長崎ギター音楽院及び合奏団で子供の頃から山下さんを知っている坂元さんと平戸さんにお願いしました。特に平戸さんには本番中は照明、ドアの開け閉め、アナウンス、控室へ…などなどマルチに仕事を頼んでしまいました。さらに、余震が来た場合の対応や避難経路の確認なども綿密に検討してくれました。(長崎ギター音楽院からも山下亨先生はじめ、たくさんの関係者のご来場、ありがとうござました。)
私は主催者なので客席では聴けなかったのですが、唯一少しだけ音を聞けたのはリハーサル時間の最後に現代ギター誌のグラビアに掲載される写真撮影の時間でした。撮影をお願いしたカメラマンの田丸幸介さんは「Stand Alone」をはじめ、私のCDのジャケットの写真を撮ってくださった方です。「もうそろそ開場時間です」とお伝えするために客席に入った時に聞こえてきた天上から降ってくるかのようなピアニシモに胸が震えました。
開場されるとお客様で続々と埋まっていく中、熊本、鹿児島、大分方面からは交通の便が寸断されたので来場が叶わない方、また、余震を心配してキャンセルされた方もいらっしゃって、補助席を出す程なのに空席があるという不思議な客席の状況でした。
開演時刻を少し過ぎてステージに登場された山下さんは前半に2つのチェロ組曲、休憩を挟んであのシャコンヌを含むパルティータを驚異的な集中力で演奏して、あいれふホールを興奮の渦に巻き込みました。
万雷の拍手に応えてのアンコールは5曲!実は袖に控えていた私は4曲目が終わったところで「もう、充分です」とお伝えしたのですが、山下さんは楽器を持って「いや、もう一曲!」と無言のジェスチャーで平戸氏にドアを開けるように指示を出したのでした。地震で犠牲になった方への鎮魂歌のような、被害に遭われた方へ、避難所で不自由な生活を余儀なくされている方へ勇気を届けるかのように何度も何度もリピートするバッハのコラール、最後はリムスキーコルサコフのインドの歌でした。
九州では約20年ぶりの福岡での山下和仁ギターリサイタルは心配された余震もなく皆様のおかげで無事に終了しました。
これが山下さんの九州での演奏活動を活発化させる始まりとなります!
9月5日(月)には同じくあいれふホールで紅弓さんのコンサートに共演者として出演くださいますし、来年の4月22日(土)にはバッハシリーズ第2弾としてあいれふホールでのリサイタルが決定しています。
これからも圧倒的な演奏で私たちを感動させてくださることを楽しみにしたいと思います。
2016.5.17