リサイタルお礼

3/21橋口武史ギターリサイタルにお越し下さった皆さん、来れなかったけど応援くださった皆さん、どうもありがとうございました。

コンサートの当日は、よく晴れた、空の青さが、忙しなく家を出た人々の口を、一瞬、ぽかんと開けたままにさせるような朝(「マチネの終わりに」 p.393)

ではありませんでしたが、雨も上がり、春の福岡らしい霞がかかった朝でした。

来ていただけるだけで十分ありがたいのに、いろんなプレゼントまでくださった皆さん、重ねてお礼を申し上げます。

生来のギリギリ癖が今回は(も!)かなり皆さんにご迷惑をおかけしてしまいました。
もともとがなかなかヘヴィーなプログラム。
それは最初からわかっていたのだから、早く準備すればいいんですけど、精神状態が落ち着かないような日々もあって、思うように練習ができませんでした。

極め付けは当日皆様にお配りするプログラムの曲目解説を当日の午前5:16に書き上げてる始末。それから妻が自宅にあるエプソンのA3両面プリンタで頑張ってくれましたが、開場時間に間に合いそうにないという事態。思いっきりのいい決断をする娘がコンビニに走ってコピーして来てくれてどうにか間に合いました。受付のお手伝いをお願いしていたすたじおGの生徒さんをヒヤヒヤさせてしまいました。家族をはじめ、生徒さん、いつも支えてくださってる皆さんのおかげでどうにかこうにか開演できました。

構想段階では「あれもしよう、これもしよう」と楽しかったのですが、蓋を開けたら音符と格闘しているだけになってしまいました….

不本意な 演奏を聞かせてしまったのでもう一度チャンスをいただけたらと思っております

ソナタ(L.ブローウェル)





All in Twilightと同じく、ジュリアンブリームのために書かれた。音色の指示(metálico,sul tasto)が細かいところも共通している。全体に引用が効果的に用いられている。1楽章の7小節目に出現するモチーフが曲全体を有機的に結びつけている。



第1楽章 ファンダンゴとボレロ

ファンダンゴもボレロもスペインの舞曲。「黒いデカメロン」にも見られたブローウェルの「増殖の書法」などを経て末尾部で突然《ベートーベンがソレル神父を訪ねる》という文言とともに交響曲第六番「田園」のメロディが引用される。


毎月一度ゲストとして「すたじおGランチタイムコンサート」に来ていただいているギタリスト中野義久氏から、決して突然ではなくファンダンゴのリズムが田園の伴奏形を連想させるところから繋がっているのではないか、との説を授かった。

ソレル神父とはスペインの聖職者、作曲家アントニオ・ソレル(1729~1783)のこと。D.スカルラッティ(1685 – 1757)に師事したと言われ、代表作は「チェンバロのためのファンダンゴ」。

類似したリズムを媒介にした、国も時代も超えた二人の作曲家の邂逅、というブローウェルのユーモア。

第2楽章 スクリャービンのサラバンド

スペイン起源の舞曲、サラバンド(後半のチェロ組曲にも出て来ます)の形を借りたロシアのピアニスト・作曲家アレクサンドル・スクリャービン(1872 – 1915)へのオマージュ。




オスティナート(反復音形)に乗せて幽幻の世界が繰り広げらる。


第3楽章 パスクィーニのトッカータ

ベルナルド・パスクィーニ(1637 – 1710)はイタリア・バロックの教会音楽の作曲家。



弦を摘まみ上げて破裂音を出す「バルトークピチカート」のテクニックや

パスクィーニの代表作「かっこう」のモチーフや

スクリャービンが戻って来たり

最小公倍数の面白さがあったりしながらクライマックスへ向かって疾走していく

パストラル(J.ロドリーゴ)

ホアキン・ロドリーゴ(1901-1999)の代表作は《アランフェスの協奏曲》であることに異論はないと思うが、ギター独奏曲にも傑作が多い。第1回パリ国際ギターコンクール作曲部門で優勝した《祈りと踊り》は私も一時期頻繁に演奏していたし、《小麦畑で》は小学生の時に受けた第32回九州ギター音楽コンクールの本選課題曲だった(魅力がよく分からずに弾いていた)。

小説の中にはソナタジョコーサやトッカータも登場しているが、今回は曲調、演奏時間などを考慮して《パストラル》を選んだ。’97年発表の村治佳織さんのロドリーゴ作品集のアルバムタイトルにもなっている、賛美歌のような美しい旋律と、ところどころスパイスのように効いているロドリーゴ風味の不協和音が特徴の小品。

全ては薄明かりの中で(武満 徹)

日本を代表する作曲家、武満 徹(1930-1996)がイギリスの巨匠、ジュリアン・ブリーム(1933-)の委嘱によって書いたギター独奏作品。日本初演は1988年11月5日サントリーホールにてブリームによって行われた。

その2日後の行われた武満、ブリーム両氏の対談のなかで

T …それはたまたまブリームさんからギターの曲を書いてみないかという話をうかがった時、旅行をしてニューヨークにいたんですけど、ニューヨークの近代美術館でパウル・クレーの素晴らしい展覧会があったんですね。僕は昔からパウル・クレーが大好きなんですけれど、あんなにたくさんの作品が一堂に会したというのは珍しい展覧会でした。その中で一つもう本当に好きな絵があったんです。そのタイトルがもちろんドイツ語で付けられていたんですけれども 英訳では”All in Twilight”というんです。小さな絵でしたけれども、それを見た時にその時僕はギターの曲を考えていたので、めったにないことなんですが、ハッとひらめいたんです。 この “All in Twilight” というのを書きたい。何かこう微妙な乳白色をしていました。僕の記憶の中にあるブルームさんの音の温度とその絵がぴったりだったんです。(現代ギター No.279 1989年1月号 p.40)

と武満は語っている。

4つのパートから成っているが今回は自然、人工の両ハーモニックス奏法と陰影に富んだ和音、時折かすめる断片のような旋律が印象的なⅠと、穏やかな時の流れの中に甘い不安とほろ苦い幸福感を覚えるⅣを演奏する。

全曲に亘って右手の弾弦位置(sul tast:指板寄りで、sul ponticello:ブリッジ寄りで)が細かく指定されているが、これは委嘱者のJ.ブリームの演奏スタイルが反映されている。

ガヴォットショーロ(H.ヴィラ=ロボス)

こういう時には、何を弾くべきなのだろうかと考えた…自然と、耳の奥で音楽が鳴り始めて彼はギターを構えた。そしてヴィラ=ロボスの《ブラジル民謡組曲》の中から《ガヴォット・ショーロ》を演奏した。5分ほどの質朴な温かみのある曲で、彼は、ソファで足を組んで、寛いで演奏した。ガヴォットだから、元々は2拍子の踊るための曲だが、彼は、幾人かの親しい友人たちが、ゆったりと流れる午後の時間の中で、気軽な談笑に耽っている光景を思い描いた。そんなふうにこの曲を解釈したのは、初めてだった。

彼自身が、最近の何か面白い出来事を語り始めたギターに、微笑みながら耳を傾けているような気分だった。相槌を打ちながら、まさかと驚いたり、神妙に聞き入ったり、へぇと感心したり。….最後のハーモニクスの一音を蒔野は彼女を笑顔にさせるまじないか何かのように稚気を含んだタッチで響かせた。(p.140-141)

チラシに間違えて載せていました!ガボット・ロンド(それはバッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番や今回後半で演奏する無伴奏チェロ組曲No.5)ではなくガヴォット・ショーロです。
ブラジルの大作曲家、エイトル・ヴィラ=ロボスが作曲した《ブラジル民衆組曲》の4曲目(1曲目:マズルカ・ショーロ、2曲目:ショティッシュ・ショーロ、3曲目:ヴァルサ・ショーロ、5曲目:ショリーニョ)。

「ショーロ」とはボサノバが興る以前のブラジルで流行していた音楽の形態。ショーロという名前は、ポルトガル語で「泣く」を意味する「chorar」からついたと言われている。 主に使われる楽器としては南米らしくギターは欠かせないが、フルートやカヴァキーニョ、パンデイロ、バンドリンといった楽器とのアンサンブルが基本。

ガヴォットはバロック時代に流行したフランス起源のダンス。バロック時代の組曲中の一曲としてもよく用いられる。

ショーロの多くはA-B-A-C-Aという三部形式の構造になっているが、ヴィラ=ロボスがガヴォットのリズムを借りて作曲したこの曲も例に漏れない。